...それから駒(こま)ヶ嶽(たけ)――その外(ほか)山と名づくべき山には...
芥川龍之介 「槍ヶ嶽紀行」
...後から「湾の東にある元垂水」なる文句が出て来る〕湾を越して西に開聞嶽(かいもんだけ)と呼ばれる...
エドワード・シルヴェスター・モース Edward Sylvester Morse 石川欣一訳 「日本その日その日」
...大天井や山上ガ嶽にはまだ雪が残っているが...
石川欣一 「山を思う」
...甲州御嶽(みたけ)の歌会には私の都合で行をともにすることのできなかったのを...
石原純 「左千夫先生への追憶」
...駒、御嶽、八ガ岳の諸峰か...
板倉勝宣 「山と雪の日記」
...私はいつも城嶽の前のちっぽけな別荘にいって勉強していたが...
伊波普猷 「私の子供時分」
...車中から見て通り過ぎた駒ヶ嶽やそのあたりの奇麗な沼も...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...「三 木曽山脈と相対して、高峻を競い、之を圧倒して、北の方越後海辺まで半天に跳躍犇放(ほんぽう)するものを飛騨山脈となす、(中略)中央大山脈は鋸歯状に聳えて、四壑のために鉄より堅牢なる箍(たが)を匝(め)ぐらしたるもの、曰く鍋冠山、曰く霞沢山、曰く焼嶽、或ものは緑の莢を破りて長く、或ものは、紫の穂に出て高きが中に、殊に焼嶽(中略)は、常春藤の繞纒(じょうてん)せる三角塔の如く、黄昏(たそがれ)は、はや寂滅を伴いて、見る影薄き中に屹立し、照り添う夕日に鮮やかに、その破断口の鋭角を成せるところを琥珀色に染め、(中略)初めは焼嶽を指して、乗鞍と誤認したるほどなりき、乗鞍に至りては、久しく離別の後に、会合したる山なり、今日大野川に見て、今ここに仰ぐ、帽を振りて久闊を叫びしが、峰飛びて谿蹙(せ)まる今も、山の峻峭依然として『余の往くところ巨人有り焉』(My giant goes wherever I go)と、そぞろ人意を強うせしめぬ、(下略)(拙著『鎗ヶ嶽紀行』)この一群中に卓絶せるを、鎗ヶ嶽となす、その矗々(ちくちく)として、鋭く尖れるところ、一穂の寒剣、晃々天を削る如く、千山万岳鉄桶を囲繞せる中に、一肩を高く抽(ぬ)き、頭(あたま)に危石あり、脚に迅湍あり、天柱屹(こつ)として揺がず、洵(まこと)に唐人の山水画、威武遠く富士に迫れども、大霊の鍾(あつ)まるところ、謙(へりくだ)りて之を凌がず、万山富士にはその徳を敬し、鎗ヶ嶽には其威を畏(おそ)る...
宇野浩二 「それからそれ」
...眼界は中ノ嶽ほどには...
大町桂月 「妙義山の五日」
...次には『摩耶(まや)ヶ嶽(たけ)の段』と云うのがある」「そら...
谷崎潤一郎 「蓼喰う虫」
...われらは世人のこの首都と富嶽との関係を軽視せざらん事を希(こいねご)うて止(や)まない...
永井荷風 「日和下駄」
...それに續く丘陵の先に龍ヶ嶽(その頭(あたま)は富士と同じやうにまだ雲の中に隱れてゐた)を見た景色は...
野上豐一郎 「湖水めぐり」
...『郷土研究』一巻八号斎藤真氏説に、陸前の駒ヶ嶽、毎年消え残りの雪が白い奔馬形を現わす、これを見て年の豊凶を占う農夫もある由...
南方熊楠 「十二支考」
...西の嶽が暗緑の濃厚な色を呈して...
吉江喬松 「山岳美觀」
...永禄の元年、互いに、爾後(じご)は干戈(かんか)を交えまいと、神文(しんもん)を交わし、約定を取結んである御両家のあいだがらなるに」「その以前、割ヶ嶽の城は、当武田家の所領であった」「御理由にはなりません」「使者!」「はいっ」「そちは、酒をのむか、のまんか」「いただきます...
吉川英治 「上杉謙信」
...甑嶽(こしきだけ)の麓(ふもと)にあった...
吉川英治 「剣の四君子」
...殊に賤(しず)ヶ嶽(たけ)このかたは...
吉川英治 「新書太閤記」
...部屋に歸つて改めて障子を開くと眩ゆい夕日の輝いてゐる眞正面に近々と燒嶽が聳えてゐた...
若山牧水 「樹木とその葉」
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