「寛文」の意味
江戸時代前期の元号
小説での「寛文」の使い方
...しかも芭蕉は「貝おほひ」を出した寛文十一年の正月にもやつと二十九歳だつたのを思ふと...
芥川龍之介 「芭蕉雑記」
...「剪燈新話(せんとうしんわ)」を飜案した浅井了意(れうい)の「御伽婢子(おとぎばふこ)」は寛文(くわんぶん)六年の上梓(じやうし)である...
芥川龍之介 「芭蕉雑記」
...寛文九年の蝦夷蜂起の時には...
太宰治 「津軽」
...古い処で寛文元禄位...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...周知のごとく將軍家光は切支丹禁制の施政を強化するために、平戸にあつたポルトガル、支那、和蘭等の商館を、長崎港の沖合に島を築いて、そこへすべてを收容したが、一方、貿易事業は日を逐うて旺んになつていつたし、フオン・シーボルトの「日本交通貿易史」によると、「此時(一六七一年、寛文十一年)は、イムホツフ總督(東印度會社の支配權を握る蘭印總督のこと)が、日本における和蘭貿易の黄金時代と云ひたる頃なり」とあつて、日本の輸出高は和蘭のみで、年々四五十萬兩にのぼつたころである...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...寛文の二年に一万二十五本の総矢数(そうやかず)のうち...
中里介山 「大菩薩峠」
...例へば寛文時代に浮世絵の版画が長崎にあつた事抔(など)は歴史的には錯誤であるが...
長與善郎 「青銅の基督」
...寛文十二年(康熙十一年)方々に散ばつて居つた尾類(ズリ)...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...寛文年間には五人組帳なるものがあったことは確かである...
穂積陳重 「法窓夜話」
...寛文十年十二月二日に七十六歳で歿した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...若し流芳院を正久だとすると、此年齢より推せば、寛文十年に生れ、天和元年に十二歳で有信を挙げたことゝなる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...それから寛文中の「江戸鑑(えどかがみ)」になると...
森鴎外 「渋江抽斎」
...柳田家は寛文年間まで下野の烏山にいたが...
柳田国男 「故郷七十年」
...寛文十一年九月九日...
柳田國男 「地名の研究」
...去年(寛文六年)の正月には松山(茂庭周防)が病死した」――半年ちかく病んだあとでございました...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...寛文三年このかた...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...馬でゆくぞ」断琴断歌寛文十一年三月二十七日...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...寛文年間、津輕藩に於ける藩政改革とその治水工事に當つた一武士の業蹟を扱つたものであるが、現代の吏道精神にてらして、又、民衆と爲政者との推移を見たり、行きづまつた農村治策などの上からも、何か示唆するものがありはしまいかと思つて書いてみたものだつた...
吉川英治 「折々の記」
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