例文・使い方一覧でみる「壯」の意味


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...明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて譯者識す第十三版題言是れ予が時の筆に成れるIMPROVISATOREN(イムプロヰザトオレン)の譯本なり...   明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて譯者識す第十三版題言是れ予が壯時の筆に成れるIMPROVISATORENの譯本なりの読み方
ハンス・クリスチアン・アンデルセン Hans Christian Andersen 森鴎外訳 「即興詩人」

...豪悲慘なる北歐思想...   豪壯悲慘なる北歐思想の読み方
上田敏 上田敏訳 「海潮音」

...いと麗しき夫なり...   いと麗しき壯夫なりの読み方
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」

...死して閻羅王とならむ』と語せし白石は...   死して閻羅王とならむ』と壯語せし白石はの読み方
大町桂月 「近藤重藏の富士山」

...彼の相馬嶽上の觀には...   彼の相馬嶽上の壯觀にはの読み方
大町桂月 「妙義山の五日」

......   の読み方
千家元麿 「自分は見た」

...今年二十三の年(わかもの)とは...   今年二十三の壯年とはの読み方
高山樗牛 「瀧口入道」

......   の読み方
武田祐吉 「古事記」

... 195其間(ま)にかなたヘクト,ルとプーリダモスに續きたる――トロイア士...    195其間にかなたヘクト,ルとプーリダモスに續きたる――トロイア壯士の読み方
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」

...それから盛な時期...   それから壯盛な時期の読み方
内藤湖南 「近代支那の文化生活」

...之を譬ふるに萬葉の歌は夫の弓箭を手挾みて立てるが如く記...   之を譬ふるに萬葉の歌は壯夫の弓箭を手挾みて立てるが如く記の読み方
長塚節 「長塚節歌集 上」

...――快だなあ、なあに、鯉の生作(いけづく)りだつて、仕事がキレイなだけだもの、太古(たいこ)は鰻だつて生で横つかじりにしたかもしれやしない...   ――壯快だなあ、なあに、鯉の生作りだつて、仕事がキレイなだけだもの、太古は鰻だつて生で横つかじりにしたかもしれやしないの読み方
長谷川時雨 「夏の夜」

...一番麗な部屋だつた...   一番壯麗な部屋だつたの読み方
ブロンテイ 十一谷義三郎訳 「ジエィン・エア」

...自由黨の士が私の村にまで來て演説會を開いた時...   自由黨の壯士が私の村にまで來て演説會を開いた時の読み方
正宗白鳥 「避病院」

...一寸藝あそびの一つもするのを伊達と心得てゐる町の丁仲間からは相手にされなかつたかはり...   一寸藝あそびの一つもするのを伊達と心得てゐる町の壯丁仲間からは相手にされなかつたかはりの読み方
水野仙子 「醉ひたる商人」

...鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書いた本を見たが、日本人がアアリア人種だと云ふ論斷がしてある、そしてその理由として擧げてある言語學上の事實が、間口ばかり廣くて手薄である、學者はあんな輕卒な論斷をしては困るぢやないか、」かう云ふと、上田君が愛敬のある疊なり合つた齒を見せて、意味ありげに笑つた、「田口さんは僕の親類だ、」此時私は始て田口上田兩家の關係を知つた、そして鼎軒先生が幾分か自分に接近して來られたやうに感じた、その後幾年か立つた、或る日又上田君が來て話してゐる間に、かう云はれた、「今度田口の子が卒業して君の部下になるから、どうぞ使つて遣つてくれ給へ、」これが文太さんが陸軍の藥劑官になつた時の事であつた、それから何處やらまだ坊つちやんらしい處の殘つてゐる文太さんに、役所でも役所の外でも次第に心安くなつて、間接に故人鼎軒先生に接近するやうな心持がして來た、彼此するうち、先生の七囘忌が來た、そこで上田君からも文太さんからも、私に何か言へと云ふことである、私は何を言つたら好からう、先生には公生涯と云ふ一面と、學者の經歴と云ふ一面とがある、公生涯の方は私は餘り縁遠いから、何とも云ひ兼ねる、只學者としての鼎軒先生に就いて、大體の事が云ひたい、併しかう引離して、先生の一面丈を説くと云ふことは、稍無理になりはすまいかと思はれる、それは先生の公生涯と學者生涯とは密接してゐるからである、先生のあらゆる學問上の意見には、デモクラチイの影でないまでも、デモクラチスムの影を印してゐる、それで官學と違ふ、此點から言ふと、鼎軒先生の學問は福澤先生に近い、私は一般の人格の上から、兩先生を軒輊しようとは思はない、併し學問に於いては、鼎軒先生の勝つてゐられる處がある、私はそれが言ひたい、私は日本の近世の學者を一本足の學者と二本足の學者とに分ける、新しい日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を卷いてゐる國である、そこで東洋の文化に立脚してゐる學者もある、西洋の文化に立脚してゐる學者もある、どちらも一本足で立つてゐる、一本足で立つてゐても、深く根を卸した大木のやうにその足に十分力が入つてゐて、推されても倒れないやうな人もある、さう云ふ人も、國學者や漢學者のやうな東洋學者であらうが西洋學者であらうが、有用の材であるには相違ない、併しさう云ふ一本足の學者の意見は偏頗である、偏頗であるから、これを實際に施すとなると差支を生ずる、東洋學者に從へば、保守になり過ぎる、西洋學者に從へば、急激になる、現にある許多の學問上の葛藤や衝突は此二要素が爭つてゐるのである、そこで時代は別に二本足の學者を要求する、東西兩洋の文化を、一本づゝの足で蹈まへて立つてゐる學者を要求する、眞に穩健な議論はさう云ふ人を待つて始て立てられる、さう云ふ人は現代に必要なる調和的要素である、然るにさう云ふ人は最も得難い、日本人に取つては、漢學をすると云ふことが、既に外國の古代文學を學ぶのである、西洋人が希臘羅馬の文學を學ぶと同等の難事である、その上に又西洋の學問をしなくてはならない、それも單にポリグロツトな人には比較的容易になられよう、猶進んで西洋の文化が眞に味はれるやうにならうと云ふのは隨分過大な望みである、私は鼎軒先生を、この最も得難い二本足の學者として、大いに尊敬する、先生が一本の足で西洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、他の一本の足で東洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、それを一々具體的に研究するのは、頗る興味のある問題であらう、憾むらくは私は今それ程の餘裕を有せない、只大體から見れば、先生の重點は西洋文化の地面に落ちてゐた、併し隨分幅廣く股を開いて、東洋文化の地面をも蹈んでゐられた、先生は西洋文化の眼を以て東洋文化を觀察して、彼を我に移して、我の足らざる所を、補はうとしてゐられた、先生は此意味に於いて種子を蒔いた人である、併し其苗は苗の儘でゐる、存外生長しない、それは二本足の學者でなくては先生の後繼者となることが出來ないからである、その二本足の學者が容易に出て來ないからである、そして世間では一本足同士が、相變らず葛藤を起したり、衝突し合つたりしてゐる、...   鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少壯の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書いた本を見たが、日本人がアアリア人種だと云ふ論斷がしてある、そしてその理由として擧げてある言語學上の事實が、間口ばかり廣くて手薄である、學者はあんな輕卒な論斷をしては困るぢやないか、」かう云ふと、上田君が愛敬のある疊なり合つた齒を見せて、意味ありげに笑つた、「田口さんは僕の親類だ、」此時私は始て田口上田兩家の關係を知つた、そして鼎軒先生が幾分か自分に接近して來られたやうに感じた、その後幾年か立つた、或る日又上田君が來て話してゐる間に、かう云はれた、「今度田口の子が卒業して君の部下になるから、どうぞ使つて遣つてくれ給へ、」これが文太さんが陸軍の藥劑官になつた時の事であつた、それから何處やらまだ坊つちやんらしい處の殘つてゐる文太さんに、役所でも役所の外でも次第に心安くなつて、間接に故人鼎軒先生に接近するやうな心持がして來た、彼此するうち、先生の七囘忌が來た、そこで上田君からも文太さんからも、私に何か言へと云ふことである、私は何を言つたら好からう、先生には公生涯と云ふ一面と、學者の經歴と云ふ一面とがある、公生涯の方は私は餘り縁遠いから、何とも云ひ兼ねる、只學者としての鼎軒先生に就いて、大體の事が云ひたい、併しかう引離して、先生の一面丈を説くと云ふことは、稍無理になりはすまいかと思はれる、それは先生の公生涯と學者生涯とは密接してゐるからである、先生のあらゆる學問上の意見には、デモクラチイの影でないまでも、デモクラチスムの影を印してゐる、それで官學と違ふ、此點から言ふと、鼎軒先生の學問は福澤先生に近い、私は一般の人格の上から、兩先生を軒輊しようとは思はない、併し學問に於いては、鼎軒先生の勝つてゐられる處がある、私はそれが言ひたい、私は日本の近世の學者を一本足の學者と二本足の學者とに分ける、新しい日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を卷いてゐる國である、そこで東洋の文化に立脚してゐる學者もある、西洋の文化に立脚してゐる學者もある、どちらも一本足で立つてゐる、一本足で立つてゐても、深く根を卸した大木のやうにその足に十分力が入つてゐて、推されても倒れないやうな人もある、さう云ふ人も、國學者や漢學者のやうな東洋學者であらうが西洋學者であらうが、有用の材であるには相違ない、併しさう云ふ一本足の學者の意見は偏頗である、偏頗であるから、これを實際に施すとなると差支を生ずる、東洋學者に從へば、保守になり過ぎる、西洋學者に從へば、急激になる、現にある許多の學問上の葛藤や衝突は此二要素が爭つてゐるのである、そこで時代は別に二本足の學者を要求する、東西兩洋の文化を、一本づゝの足で蹈まへて立つてゐる學者を要求する、眞に穩健な議論はさう云ふ人を待つて始て立てられる、さう云ふ人は現代に必要なる調和的要素である、然るにさう云ふ人は最も得難い、日本人に取つては、漢學をすると云ふことが、既に外國の古代文學を學ぶのである、西洋人が希臘羅馬の文學を學ぶと同等の難事である、その上に又西洋の學問をしなくてはならない、それも單にポリグロツトな人には比較的容易になられよう、猶進んで西洋の文化が眞に味はれるやうにならうと云ふのは隨分過大な望みである、私は鼎軒先生を、この最も得難い二本足の學者として、大いに尊敬する、先生が一本の足で西洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、他の一本の足で東洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、それを一々具體的に研究するのは、頗る興味のある問題であらう、憾むらくは私は今それ程の餘裕を有せない、只大體から見れば、先生の重點は西洋文化の地面に落ちてゐた、併し隨分幅廣く股を開いて、東洋文化の地面をも蹈んでゐられた、先生は西洋文化の眼を以て東洋文化を觀察して、彼を我に移して、我の足らざる所を、補はうとしてゐられた、先生は此意味に於いて種子を蒔いた人である、併し其苗は苗の儘でゐる、存外生長しない、それは二本足の學者でなくては先生の後繼者となることが出來ないからである、その二本足の學者が容易に出て來ないからである、そして世間では一本足同士が、相變らず葛藤を起したり、衝突し合つたりしてゐる、の読み方
森林太郎 「鼎軒先生」

...五十一歳小倉の小笠原家に逗留までの間を――(彼の年期に)それから後...   五十一歳小倉の小笠原家に逗留までの間を――それから後の読み方
吉川英治 「折々の記」

...『ア、ほんとだ、快だ/\、オーイ、快丸がけえつて來たよう...   『ア、ほんとだ、壯快だ/\、オーイ、壯快丸がけえつて來たようの読み方
若山牧水 「樹木とその葉」

「壯」の読みかた

「壯」の書き方・書き順

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