...当時の皇后宮太夫三室戸伯爵を通じて...
上村松園 「画筆に生きる五十年」
...皇后樣はこの歌をお聞きになつて非常にお怒りになつて...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...桃青(たうせい)は后(のち)の名なり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...貴(とうと)い皇后におなりになりました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...その時皇后は、「私はあんまりにくらしくてたまらないので、こんなにあてもなく山城(やましろ)の川をのぼって来たものの、思えばやっぱり天皇のおそばがなつかしい...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...十一月九日晴、曇、雨、后晴、天神山、阿南(アナミ)屋(三〇・中)暗いうちに眼が覚めてすぐ湯へゆく、ぽか/\温かい身心で七時出発、昨日の道もよかつたが、今日の道はもつとよかつた、たゞ山のうつくしさ、水のうつくしさと書いておく、五里ばかり歩いて一時前に小野屋についたが、ざつと降つて来た、或る農家で雨宿りさせて貰ふ、お茶をいたゞく、二時間ばかり腰かけてゐるうちに、いろんな人々が来て、神様の事、仏様の事、酒の事、等々々、そのうちにやうやく霽れてきた、小野屋といふ感じのわるくない村町を一時間ばかり行乞して、それから半里歩いて此宿へついた...
種田山頭火 「行乞記」
...午后、矢島ちよつと挨拶して通過...
種田山頭火 「其中日記」
...その證は前述せる『歴代帝后像』に現はれたる宋代の帝后像を見ても知るを得るなるが...
内藤湖南 「日本の肖像畫と鎌倉時代」
...しかし、女の方にそんな実例がありますか」「ありますとも、唐の則天武后(そくてんぶこう)をごらんなさい」「うむ、則天武后ですか」「歴史家という人たちは、その人たちの支配されている時代の尺度で歴史を書くものですから、自然、人間の規模を見損なってしまうことが多いのです、則天武后を、淫乱の、暴虐の、無茶の、強悪の権化(ごんげ)のようにのみ、歴史の書物には写し出されていますけれども、そう暴虐の、淫乱の、無茶な人に、いつまでも人心が服しているはずはありません、たとい一時の権勢はありましても、長く人気を保てるはずはないのに、あの人は大唐国の王座をふまえて少しもゆるがさず、好きなという好きな男は無条件に自分の性慾の犠牲として、或いは弄(もてあそ)び、或いは殺していながら、それで八十歳の天寿をまで保ち得たということは、非常な力を持った人でなければならないはずです、ああなると力というよりも、一種の徳と見なければなりません」「ははあ――力は、すべての道徳の上の道徳だな」と竜之助がうそぶきました...
中里介山 「大菩薩峠」
...主上にはよき后でおわしまし...
長谷川時雨 「明治美人伝」
...兎神が逢蒙をして后(こうげい)を殺さしめた話は既に上に述べた...
南方熊楠 「十二支考」
...長生王その后(きさき)と深山無人の処に隠れ...
南方熊楠 「十二支考」
...私は東京のお后(ゴー)さんよ...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...后の宮へも親しく出入りしていて...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...姉君の皇太后はどんなに御苦労をなすったことか...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...雨は飴いろにそとの空気をそめた陰気な午后であった...
室生犀星 「香爐を盗む」
...皇后には、珠の冠や胸飾りを、帝には座右の符冊典籍(ふさくてんせき)までを、車の上から惜しげなく捨てられた...
吉川英治 「三国志」
...みかどをお送りして出た准后(じゅんごう)の廉子(やすこ)だの...
吉川英治 「私本太平記」
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